「”サイコフィジカル”な介護士になりたい!」(2/27プレゼンテーション)

こんにちは!
TACスタッフの熊谷です。

TAC(東京アレクサンダーセンター)では、スタッフ同士持ち回りで「プレゼンテーション」(学びの発表)を行なっております。


2/27(月)のプレゼンは、私、熊谷が担当いたしました。

前回のブログの「予告編」に続き、今回は「本編」としてご報告いたします。

 

タイトルは

「サイコフィジカルな介護士」になりたい!

です(笑)

 


おや?この写真、デジャヴかな(笑)

 

 

私たちはサイコフィジカルな存在

今時「サイコ」なんていうと怪しげな感じですが(笑)、

人間の心・精神(psycho)と、身体(physical)が統合された状態を、アレクサンダーテクニークでは「サイコフィジカル (psycho-physical)」と呼んでいます。(アレクサンダーさんによる造語)


サイコフィジカルな状態が私たちの「本来の姿」だけれども、文明が進むことによって私たちは人間は、

この統合された状態からほど遠いところまで来てしまったよね?
そこから色々な不具合や問題が生じているよね?

ということをアレクサンダーさんは度々著書で述べています。


そんなわけで、どんな活動をする時も、私たちアレクサンダーテクニーク(AT)を学ぶ者は「サイコフィジカルな状態」で活動することを目指している、というわけなのです。

 

 

介護現場での私のビフォア・アフター

さて、私は現在「リハビリ特化型デイサービス」という高齢者の介護施設で、介護スタッフとして働いています。

 

間にアレクサンダーテクニーク教師養成トレーニング(3年間)を挟み、
その前は老健 (介護老人保健施設)」という所に勤務していました。

 

アレクサンダーテクニーク(AT)のトレーニングを受けたことで、
現場での私の「在り方」がどう変わったかなぁ?という、
今の時点での検証・アウトプットが今回のプレゼンの主旨です。

 

 

老健時代の私の状態は、こんな感じ。↓↓

もう、本当にダメダメスタッフでした(涙)。

私が利用者さんでも、同僚でも
絶対一緒に過ごしたくないスタッフだったと思います(笑)。



そして老健時代に「Sさん」という素晴らしい先輩がいらっしゃったこともお話ししました。

彼女がフロアいるだけで、認知症の方も含め利用者さんが穏やかになる。

彼女がいる夜勤は、なぜか皆さんいつも良眠、事故なし!


私とSさんとでは、そもそも人間の出来が違うのかなぁ?
と悩んだりしていました。


自然に和やかな雰囲気を作れるS先輩の「在り方」。
彼女のような人の在り方って、
具体的に「言語化」したり「共有」したりは出来ないものなのでしょうか?

 


さて、現在のわたくしはこんな感じです。↓↓

すごくざっくりしていますよね。

ATの文脈で言うと「インヒビションが出来るようになった」ということになるのかもしれませんが、私自身は「さあ、インヒビションしよう!」と思っているわけではなく、
「気がついたら、こうなっていたなぁ」という感じです。


※「インヒビション=抑制」。
習慣による心身の不必要な反応が抑制されている状態のこと。

 

 

では私が現場で、特に訴え系の方々 (不穏になったり、感情失禁があったりする方)と 一緒にいる時に「意図」していることは何かと言いますと、

本当に、これぐらいなのです。

 


「一緒に居てみよう」と決め、相手の方との「つながり」が生じているなぁと思った時に、私が「感じていること」はプレゼンではお話ししましたが、こちらでは割愛させていただきますね。(多分に感覚的な要素が多く不確定なためです。)

 

そして、
「どんなクオリティで一緒に居られるだろう?」
と思いながら共に居ようとすると

結果として「解決とは違う出口」に出られたりすることがあるのです。

 

ご本人の訴えの直接的な解決にはならないけれども、
一緒に新しいドアから外に出られたよね?
そして、お互いそのことを共有できているよね?


そういった「目に見えない解決のようなこと」が度々起きてくるようになりました。

 

 

「違い」は何か?、そしてこれから。

では、老健時代の私と、デイサービスでの私との「違い」は一体何なのでしょうか?

 


決して「心を入れ替えて、いい人間になりました」という話ではありません!!

私は私のままです。


両者の違いは、
老健時代の私は「自分の全部」で生きていなかった、
つまり、サイコフィジカルな状態ではなかった、ということになると思います。

 

「私という生命体」には、本当はもっとたくさんの心身の余白や、つながりや、可能性があるはずなのに、窮屈な「小さな窓」から、自分も世界も見ていた・・。


今は、窓枠の「外」が少しずつ知覚されるようになってきて、そこも息を吹き返し、生きられるようになってきた。そういうことなんじゃないかなぁと思います。

 

そして、今後の私の目指す方向性はこちら!

「サイコフィジカルな介護士」として「存在」したい!
それが私の望みです。

 

そして、いつもの「時間割」通りに体操やレクリエーションをやっているのに、まるで「傾聴」されたかのように利用者さんが感じられる雰囲気って、どうやったら作れるのかなぁ?などと夢想中です。(それが「人間風水」です。)

介護職としての小さな野望ですね。

 

社会に「新しい視点」を提供していく。

プレゼンが終わった後、ディスカッションがありました。

 

前出の老健時代のS先輩」についての話から、
「サイコフィジカルという概念が持つ可能性」について、TACの学生さんから素晴らしい意見が出されました。

 

まず人間の本来の姿が「サイコフィジカル」であるとするならば、
ATを学んでいなくても、それに近い在り方を体現している方、
あるいはそういった生き方を目指している方はいるであろうということ。


仮説ですが、私はS先輩がそれに該当するのではないかと思っています。

 


学生さんの意見は、
我々が「サイコフィジカルという概念」を、もしもATを知らない方々とも共有出来るぐらいの共通言語として「育てる」ことが出来るならば、

 

S先輩のように、サイコフィジカルに生きようとしている(でも言語化出来ていない)様々な分野の方々と協力し合って、世の中に新しい視点を提供し、新しい社会を作って行けるのでは?


要約すると大体こういうことだった、と思います。
(正確な言葉ではありませんが)

 

私は、自分のことで精いっぱいなのですが(笑)、
学生さんは「ATによって社会に変革をもたらすこと」を真剣に考えていらっしゃることにまず驚きました。

さらに私がワクワクしたのは「ATの普及」に対する新しい可能性!についてです。


「教師や生徒をどんどん増やして、ATを世の中に広める」。
これが一般的な「普及のあり方」だと思います。

 

でも学生さんの仰ったことを私なりに解釈し展開させるならば、

潜在的に存在するであろう「サイコフィジカル・ポテンシャル」を持つ人たちと積極的に交流し、お互いに根源的な生命力を引き出し合う努力を私たちがするならば、
結果として「ATの新しい普及」ということが可能になるのではないか?

 

そんなことを考えました。(「間接的な普及」と言えばいいかな?)

すごいなぁ。「目からウロコ」とはこのことです(^O^)
学生さんに負けないように私も精進しなければ!

 

こんな感じで、真摯な学生さんの姿に、私たち教師もとてもいい影響を受けております。

「同じ人間として共に学び合う」楽しさを実感中です。

 

「新しい視点」を社会に提供することにご興味のある方、是非TACに遊びにいらしてくださいね!

 

TACのホームページはこちらから↓↓

tac-self-fullness.net

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!