身体感覚を言葉にしてみよう
こんにちは。
スタッフの遠藤です。
前回のプレゼンでは、「身体感覚」について、環境と関わることで創出される生来の「自己感」であり、ホメオスタシスにも関わっているらしいということをお話ししました。
前回のプレゼン『身体感覚と自己感』はこちら。
今回は続編で、「私たちが知覚する身体感覚」について探ってみようという話です。
日常、私たちは意識するかどうかは別として、何等かの「身体感覚」を知覚しています。
五感を通して周囲の様子を理解したり、スポーツやパフォーマンスなどの動きに自己受容感覚が関与したり、感情や認知、意思決定の場面にも影響を及ぼすといわれています。ですが、まだわからないことも多い領域です。
身体感覚は、各自固有で、刹那的で、客観的にとらえることが難しいために、研究対象になりにくいという側面もあるかと思います。
諏訪正樹教授は身体感覚をあえて言語化することから掬い上げられたものに意味を見出す試みを自ら実践、研究されています。
「からだメタ認知」と呼ばれるその手法は、体験を通して、身体が環境との接点で瞬間的にとらえるものについて、第三者的視点で自己の体性感覚を言葉で表現するものです。
基本的には意味、論理思考を介在させず、時には意味不明な繋がりやオノマトペのような言葉が使われることもあります。身体感覚情報にフィットする言葉を探す作業は多少手間がかかりますが、できるだけ自分の言葉にすることで、自分の中に新たな視点が生まれ、それにより知覚が変化し、身体も変化するというサイコフィジカルのサイクルが生まれます。
今回私はこの手法で先日システマの活動の際に「歩く」ときの身体感覚について記述した内容を参加された皆さんに聞いてもらいました。
駅からスタジオまでの道のりを「歩く」、システマのアクティビティで「歩く」、どちらも参加者の皆さんとの共通体験です。
もちろんすべての感覚体験を記すことは難しく、印象に残ったものを時系列に並べました。改めて読むと、道を歩く際は視覚でとらえた対象(人、車、道のカーブ、建物)についての記述が中心となる一方で、アクティビティでは人や場の状況から受ける熱量、触感、といった内受容感覚の断片的な記述が多く、同じ「歩く」という行為での質的な違いが浮かび上がりました。
参加者の方からは
◆ 自分のことのようにありありと情景がうかんだ
◆ 同じ道を歩いても、人によってルート、視点、体感などの印象が異なる
◆ 俳句や小説などの文体のモチーフのようだ
◆ アクティビティとして皆でやってみてはどうか
などの感想や意見をいただきました。
ちょうどTACの週のテーマが「言語化」でした。
言語化は固定化につながることもあるのですが、身体感覚をできるだけ言葉にするという試みはプライマリーコントロールに自覚的になる助けとしてあってもいいのではないでしょうか。
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スタッフ追記
知子先生、ありがとうございました。
前回のプレゼンを更に進めて紹介されているのは、とても興味深かったです。
身体感覚を言語化することは、意外に私たちは無意識ですね。
知子先生が実験されたように、一定の時間を決めて言語化し、それを書き留めて可視化すると、自分の感じていることの傾向、そして「感じた感覚」と「それによって得た自分の感情」との区別が整理できそうです。
クラスでもそういう体験をみんなでやってみたい、と話していましたね。
ぜひ、やりましょう!
ブログ担当 棚橋
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