お久しぶりです。TACスタッフの棚橋です。
先週学校がお休みだったので、今日は一週間ぶりのクラスでした。
最初に、皆んなで「インヒビジョン」「ダイレクション」「ミーンズウェアバイ」「プライマリーコントロール」等の用語の意味合いと、用語間の相互の関係性についても議論をしました。
月曜日の朝からがっつりの議題(笑)!
結局、これらの用語を考えていく時に最終的に行きつくのが「卵が先か、鶏が先か?」になりますね。そして、そこはそれぞれが自分の経験からでしか理解できないし、それぞれの意見があって良い、と話し合いました。
☕️🫖☕️
そして今日は、学生Eさんのプレゼンテーションでした。
テーマ
「ふれる」
伊藤亜紗さんの書籍 「手の倫理」からの引用を用いながら
●「ふれる」と言う事の価値を考えることによって、アレクサンダーテクニークの価値を考察する。
●そして、この視点からATを世に発信していく考察
と言うのが、プレゼンの意図でした。
内容が濃すぎて(笑)全部をお伝えすることは到底無理なのですが、ざっくりと要点をまとめると
●「まなざし(視覚)の人間関係」から「手(触覚)の人間関係」へ
●触ると触れるの違い(書籍より)
「さわる」は、伝える=伝達モード
「ふれる」は、伝わる=生成モード
●「さわる」にはない、「ふれる」ならではの深み
●「ふれる」という出来事が成立するためには、「信頼」が必要。
「ふれる」と言う事は「倫理」の次元をふくんでいる
●例として、リハビリではトレイナーの身体とクライアントの身体が生成的なやりとりをすると、二人の身体が融合してくる。二人が一体化ではなく輪郭がゆらいだ先にある「融和」
<Eさんの意見>
↓
アレクサンダーを伝えるときに、伝達モードになりやすい。
「生成モードがキーワード」!
<私(棚橋)個人の感想>
私自身は長年ATに携わって来たのですが、私たちのレッスンはハンズオンが主体でずっと他人に触れているのに、実際はATを「触れる」と言う視点からここまで深くテーマとして触れる事がなかったので、とても斬新で衝撃的でもありました。
振り返ってみると、それは私たちは何かタブー的な伝統を無意識的なところで引きずっていたのかもしれないと思いました。そこは何なのか?を考えて行きたいですね。
コロナ渦で触れ合う事が少なくなった今日この頃、私達教師はもう一度「ふれる」と言う新しい視点からATを世に発信していく事もやっていきたい。それと同時に「ふれる」と言う事は、「倫理」の次元をふくんでいる事を忘れてはいけないと思いました。
☕️🫖☕️
お茶休憩と熱いプレゼンは終わり、残りの時間はお互いにワークをしました。
3人男子(笑)!の面白い写真が撮れました。
あっという間に13時。
今日も楽しい時間が過ごすことができ感謝です。
寒くなってきましたので、皆さんお身体にお気をつけてくださいね。