6月8日 プレゼンテーション

スタッフの奥村です。

TACではFMアレクサンダー氏の書いたアレクサンダーテクニークに関する書籍を英語で読むことに取り組んでいます。
アメリカ人から見てもイギリス人から見てもちょっとややこしいFMアレクサンダー氏の本を、入学間もない学生さんたちが果敢に取り組んでいる姿をみて、スタッフである自分もとても刺激を受けています。


なので今回のプレゼンでは、自分が英語学習をどう取り組んだのか?をまとめてみることに。

 


。。。といっても英語学年底辺だった私。英語ができないことがずっとコンプレックスでした。
ですので今回のプレゼンではまず自分の英語学習環境がどういうものだったのか、から入ることにしました。

改めて自分の英語の先生を中学から大学まで思い返してみましたが、インパクトの強い人ばかり。
当時はまだ体罰に対しても緩かったため、木刀で答えられるまで頭を小突き続ける先生もいて、英語学習が教師のマイナスの記憶としか結びついていないことを再認識。

その後イギリスで出会ったカランメソッドという英語学習スタイルを紹介しました。
カランメソッドの特徴は、たくさんの英語のシャワーを浴び続けること。そして同じ英文を何度でも何度でも繰り返していくこと。
普通の語学学校のようなフリートークも一切なく、とにかく同じ文章を何度も何度も繰り返していきます。

近年はオンライン英会話でカランメソッドを採用しているところも増えているのですが、日本人にとってカランメソッドはやや不評だったりします。
それは「同じことの繰り返しでつまらない、飽きる。単調。」という点。
ですが、カランメソッドは英語の学習が目的ではなく、自分が果たしたい夢や希望を実現するために英語を使えるようになる手段としての英語学習に位置付けています。地味で単調に感じる繰り返しが英語耳を育て英語構文での文章のとらえ方が脳に沁みこみ、日本語を挟まず英語が使えるようになっていくことが期待できます。

このカランメソッドの位置づけは実はアレクサンダーテクニークに似ているのではないか?と私は思います。
カランメソッドもアレクサンダーテクニークも、英語を使って、自分自身を使って、夢や希望を実現するための「手段」であり、自分自身が根っこにあって初めて活用できるものなのだと思うのです。

ですが現実は、カランメソッドに不満を抱く人、アレクサンダーテクニークを続けられずやめられていく人が少なくないです。
それはなぜか、と考えたとき、やはり手段を学ぶことは地味で単調でつまらないと感じてしまうケースが少なくないからなような気がします。
例えば楽器のお教室でも、「初心者でも1曲楽しく弾けます!」という広告を目にすることがあるかと思います。
楽器を演奏する以上、曲を弾けた方が楽しい!感情としてはとても理解できます。
でも楽器の上達という長い目で見ると、楽器の持ち始めのうちに悪い癖がついてしまうと、後からその癖を治すのは至難の業です。長く続けるのであれば、初めのうちに丁寧にしっかり基礎を学んでほしい。そういった矛盾と同じ話なのかもしれない。じゃあどうやったらもっとアレクサンダーテクニークを学ぶ大切さや面白さに気づいてもらえるのか?これからも考えていきたい、ということをプレゼンでまとめてみました。


予定ではここでプレゼンを終わらせてもよかったのですが、ここで今一度自分を振り返り、自分にとって本当の意味での英語学習におけるパラダイムシフトは何だったのか?という点を掘り下げてみました。

 

私にとっての英語学習における真のパラダイムシフトは、自分が英語ができないということを自分が認めることだったと思います。
英語の点が低かったことは事実でいつも自分から自虐ネタとして英語ができないと話をしていました。でも今振り返ると、英語ができないという自虐ネタは、むしろ他人から「英語できないね」といわれたくないための自己防衛だったように思います。
自分では全く無意識の行動で、この視点にたどり着くまでにも長い年月がかかりました。自分を客観視することはとても難しい。時に自分の発言が一体何を意図しているのか、発言している自分自身が一番わかっていないことも多々あるのでしょう。
「議論についていけないのでゆっくりと話してください」
ぎりぎりの思いでこのお願いをした後、なかなか耳に入ってこなかった英語が、すーっと頭の中に流れてくるようになりました。もちろん、知らない単語、複雑な英文は理解はできなかったけど、それでも英語が耳に届くようになったのです。
英語が聞き取れなかったのは、私の英語能力が低かったせいなのか、それとも英語ができないことを認めたくない自分が英語の音を自分から遠ざけていただけなのか。。。

そんなことを考えるプレゼンとなりました。