2024年6月19日 プレゼンテーション

皆さん、こんにちは。TACスタッフの棚橋です。

今回は学生Kさんのプレゼン紹介です。

 

お題は

「谷中先生のピアノとワークの謎を解く旅!?」

です。

 

TACで経験した「音楽を描く」谷中先生のワーク、そして先生の弾くピアノには「煮物」のような何ともいえない魅力的な味わいがある、とずっと思っていました。いつかその土地の空気を直に感じてワークしてみたいと思っていたところ、「広島と愛媛は近いから・・・」という谷中先生からのメール。その時広島にいた私はすぐに愛媛に向かうことにしました。

 

広島から愛媛へのフェリーの船上は、どこまでも青い海と、360°快晴の空。デッキに横になり、ちょっとした「ワークオンセルフ」。部屋の中だと、「自分の前にも後ろにも、空間がひろがっていて」と自分から意識をひろげることも多いけど、今日は逆に周りの海や空や風に圧倒されて飲み込まれそう。完全に私はその中のちっぽけな一部。なんともいい気持ち!

 

フェリーを降り、みかん色の電車にゆられながら1時間。途中、谷中先生おすすめの「麦畑」も金色に揺れ、私もウトウト・・・。心も身体もこのテンポに馴染んできたところで到着です。谷中先生のお家は、庭いっぱいいろんな植物たちにかこまれていて、まるで絵本の中から飛び出したようでした。その中での楽しいレッスン。そしてレッスン後は、谷中先生の畑仕事の話題に。この後どこに行くかも、泊まる所も決めていなかった私は、翌日その畑仕事のお手伝いをすることにしました。

 

谷中先生の畑は・・・というと、様子が変。普通の畑と違います。同じ野菜が一列にずら~っと並んでいるはずなのに、この畑はいろんな野菜がばらばらに・・・間には花も咲き、雑草がびっしり生えている。実は、谷中先生は「自然農」の実戦中だったのです。

 

「耕さない。肥料もやらない。」「水やりもしないから、根っこがびっしり張ってから上に出てくるまで時間がかかるのよね」「あらら、虫に全部食われちゃったわね~」「前は強い雑草ばかり生えていたけれど、だいぶ、いろんな種類の雑草が生えるようになったのよ」

本で読んだ知識だけではないのです。農業に対して本当に「non-doing」でいけるのか、ちゃんと身体を使って試していたのです。



 

そして畑を見下ろすと、きれいな川の流れ。その向こうから風が流れてきて、遠くの木を揺らし、それがこんどは私の方にせまってきて、頭上の木の葉を揺らして通り過ぎていく。モクモクと白い雲が形を変えながら流れ続けていく。もう、そのものが美しい音楽・・・。

なるほど、だから、あのワークが生まれ、あのピアノが弾けるのだ、とそこで全部がつながりました。自然や生活そのものが音楽と当たり前につながっていて、そこに境目はなくて、ただ興味ある方へ進んでいった結果がワークや農業だっただけのこと・・・。

 

宿に戻り早速、自然農について調べてみると、農業界の「アレクサンダーさん」といった人に行きつきました。

 

それが福岡正信さん(1913~2008)。人間の科学が不完全で不要なものであることを、"何もしない"自然農法で証明しようとしたのです。正に、農業界の「non-doing」!以下に紹介します。

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「肥料がいらないような健全な稲を作る、田を鋤かなくても肥沃な土を作る、あらゆることが必要でないという条件を作る農法。三十年かかって、やっと何もしないで作る米作りができた」

また、「自然と放任」という言葉が興味深いのです。福岡さんは、実家のミカン農園で「人間は何もしなくてもいい」という「一切無用論」を実証しようとしたが、 一度人の手を入れてしまった農園は、手を入れ続けなければ維持できず、結局一山を全部枯らす経験をします。

「私にしてみれば、作物はできるもんだ、作るべきものではない。ほっときゃできるはずだ、と確信をもってやったのだが、途中から急にそういう風な方法をとっても、うまくはいかない。結局、それはただの『放任』にすぎなかったんです。」

「一般には、自然が良いぐらいのことは誰でも考えている。ただ、何が自然なのかがわかっていない。自然を不自然にする最初の出発点は何なのか、ということがはっきりつかめていないんです。例えば、木のような場合だと、出たばかりの新芽を、ほんの1センチでも、人間がハサミで摘むと、もうその木は絶対にとりかえしのつかない、不自然なものになってしまう。

 自然は、人間のほんのちょっとした知恵を加える、ちょっとした技術を加えたときに、とたんに狂ってしまう。取り返しのつかない狂いを生じてしまう。そのまま放任しておけば、はじめの自然の秩序というものが狂い、バランスの崩れたまま成長するということですから、枝と枝が衝突する。陽があたらない部分は枯れてきて、病害虫が発生する。

結局、人間が、知恵と行為でもって、何か悪いことをする。それに気づかないままに放っておいて、その悪いことをした結果が出てくると、それを懸命に訂正する。そして、訂正したことが効果をあげると、それが価値のあるりっぱなもののように見えてくる。というようなことを、人間はあきもせずにやっているわけです。

まるで、自分で屋根瓦を踏んで割っておいて、水もりする、天井が腐る、といってあわてて修繕して、りっぱなものができた、喜んでいるのと同じです。

科学者にしたって、夜も昼も一生懸命勉強して、それで近眼になって、偉くなって良いメガネを発明して、有頂天になっている、これが科学の実態なのだと思います。」
                      福岡正信著『自然農法 わら一本の革命』より

 

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人間の「doing」が、本当に浅はかだなぁと情けなくなってしまう、福岡さんのまっすぐな生き方。「non-doing」とはいっても、じゃあ、何もしないでいることなのか、というと、そうではなく、★自然を不自然にする最初の出発点は何なのかをつかむこと。★人間がほんのちょっとした知恵や技術を加えて狂わせてしまう、その瞬間「Critical moment!」をつかむことが「non-doing」なのだ。というヒントをもらいました。そして、自分ももちろん自然の一部・・・自分の中のプライマリーコントロールは、今まさに生きている「自然」なのだ~と、大きな自然に放りこまれることで感じられた旅でした。

 

写真を見ているだけでも、心地よく、四国に行ってみたくなりました。

音楽から、畑へ。繋がりは深そうです。

東京に居る私たちには、自然など全く理解できていないんだろうなと思わされてしまいますね。

おしまい

 

🍀

 

Kさん、素敵なプレゼンをありがとうございました!

私は谷中先生のワークは長く参加させて頂いていますが、先生宅には訪れたことがありません。が、ワークをより深く理解するには、先生宅にも訪れなくては(笑)!

 

農業界でも、「non-doing」!

私なんぞや、自然を知っているようで、実は全然知らないんだなと改めて思いますね。

 

愛媛、ぜひ行きたくなってきましたね!☺️